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研究ノートs2:身体を割る

私は〈体を割る〉ということが、最初、どうしても理解できませんでした。〈背中全体がおりる〉などは、なんとか理解し、現実の稽古にむすびつけることができましたが、〈割る〉ということ自体はなかなか理解できませんでした。
様々な身体操作の情報が公開されるようなった現在でも、この〈割る〉という身体操作がもっとも理解しにくいのではないのでしょうか。
当時、私は考えられるかぎりの参考図書にあたりましたが、理解をたすけてくれるような記述を見つけることはできませんでした。ただ、次のような文章の断片に遭遇することができました。

《つまり人間は、心身の一体性において、いわば身体意識として世界の内に存在していると言ってもよいであろう》                     講談社学術文庫『身体論』湯浅泰雄

 自分が今もっている(あると感じている)身体は、客観的に存在している筋肉や皮膚そのものではなく、それを脳が感じとり構成している感覚である、物体である身体というよりは「身体意識」と言ったほうがよいものである、という意味に解釈できると思います。
   そうであれば、すこしは理解できるような気がしました。たとえば、自己催眠の方法として有名な「シュルツの自律訓練法」では、「手が温かい」と自己暗示をかけてゆくと(段階的にですが)、手は温かくなり、手や足に「重くなる」と暗示をかけてゆくと重くなってゆきます。つまり、身体に意識が介入し、その様態をかえることができるのです。
 「身体意識」は意識で変えることができる。これは納得できます。
 しかしそれでも「温かさ」や「重さ」と〈割れ〉は、ずいぶん隔たりがあります。手や足は運動によって自然に温かくなったり、疲れたときは重くなったりします。つまり経験があるのです。それに比べて身体は〈割れる〉ということを経験したことはありません。だから理解がおよばないのです。
 ここに私たちが追求しようとしている技法のむずかしさがあります。経験したことのない身体感覚を自分のなかに創出しなければならないのです。
 すべてはこの一点にかかっています。
 稽古の体系もこの点をふまえて築きあげなければなりません。
 もう一度、整理します。

@ 意識は身体感覚に介入できる。
A しかし、未経験の身体感覚を創出しなければならない。

 この二点をふまえて、どうすれば〈割れる〉という体感を手にいれることができるのか。
  〈体が割れる〉という場合、体の中心である正中線、あるいは正中面を境として、右半分と左半分に分割されたという身体意識に到達することを意味しています。
 具体的な感覚について一例を述べますと、体幹部背中の右半分はそのまま動かずに、左半分が正中線からわずかに下にズレる。正中線が分断線となって、左半分がズレ落ちる、というような感覚です。
 つまり、〈割れる〉ということは、この分断線として作用する正中線を手にいれることに他なりません。
 正中面、正中線という概念は、今までの理論書にもありました。しかしそれは、まさに概念という観念の存在でした。ここで必要になっている正中線は、たんなる概念ではなく、機能をもつ正中線です。体を左右に分かつという機能や働きをもつ〈線〉だということです。
 体はいつもズレていなければならないわけではありません。技がズレを要求するときにズレる必要がでてきます。そのとき正中線は体を分断しなければならないのです。
 ここで〈流れる〉という体感が必要になってきます。刃物が入ったときに物が分断されるように、正中線が流れたとき、体は分断されます。

   意識は身体に介入し、様態を変えることができるが、未経験の体感を作り出さねばならない。問題はこのとおりですが、しかし、〈体が割れる〉は未経験であっても、〈流れる〉であれば、近い体感があります。
 たとえば、拳を握り締めて腕に緊張をつくり、握り締めをパッと解いたときに起こる腕の弛緩。その弛緩のなかに〈流れ〉を感ずることができます。
 当会で研究している技法のなかで最も基本的なものが、〈胸をおろす〉や〈背中をおろす〉ですが、この技法も、最初はやや緊張をつくり、その弛緩を利用して胸や背が働くように稽古してゆくのがよいと思います。
 〈流れる正中線〉には、これらの感覚を手がかりに近づいてゆくことができます。
 正中線というと、一般には正面腹側に想定しますが、結論をいうと、背中に設定するのがよいようです。背中には背骨もあり、正中線と重なりますので、その体感も利用できるということもあります。
 ここからは〈流れる正中線〉を獲得するために、当会が研究した方法を段階を追って具体的に述べてゆきます。

@ 背中全体をおろすことを充分に稽古する。このとき注意することは、筋肉を使って背中を引きおろすのではなく、緊張と弛緩を利用して、背中の体表全体が流れるような体感に近づけてゆく。拳を握り、背中の緊張を作り出してもよい。
A 両の手のひらを胸の前で合わせ、背中に正中線を意識する。(手の平を中心で合わせると、意識が集中され正中線を感じやすくなります)
 感じ取れない場合は、手の平を合わせる動作を利用して肩甲骨をよせ、背中に〈シワ〉をつくってもよい。言うまでもなく、この〈シワ〉が正中線の代わりです。または、背骨の感覚そのものを正中線としてもよい。

これらに、手を合わせる動作で緊張をあたえ、弛緩させ、線そのものが流れるような体感を作り出す。
 緊張を正中線自体に集中してつくり、正中線だけが流れるようにする。
B この正中線の流れと同じ速さで体を沈め、正中線を垂直に流し、蹲踞する。このとき、体感としては、〈流れ〉が体を充分通過しはじめてから身を沈め、体が〈流れ〉を追うようにする。決して、体が〈流れ〉を追い抜いてはならない。

 以上のように稽古し、感覚が整理されてゆくと、手の平を合わせなくとも正中線を感じられるようになり、とくに緊張を与えなくとも〈流れる〉ようになります。
意識がなんども身体に介入することで正中線が設定され、また、その部分に集中して弛緩することができるようになるので、〈流れる〉のだと考えられます。


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