研究ノートa6:合気道と<一重身>について

 私自身も当会も<合気>の修得を目標として研鑽を重ねており、その基礎を<一重身>においていることは他の拙論でもふれてきました。
 <一重身>は、一般には、「身を一重になすべき事」の柳生新陰流で有名ですが、合気道開祖の高弟であった故斉藤守弘師範の著作(絶版・昭和48年・港リサーチ梶w剣・杖・体術の理合』)につぎのようにあります。

《合気道は一般に体術が主体であると云うことで知られておりますが、その体術の基本的な理は剣よりきていると見て差し支えありません。むしろ体術的な剣法であり、且つまた剣法的な体術であります。剣の理と体術の理は合気道においては渾然一体となっている訳です。つまり双方の理合は一致するということが出来ます。》                       

 さらに、斉藤師範は合気道の根本的な理合として、「裏三角法」と「気をあわせること」の二点を挙げ、とくに「裏三角法」について、右下の図とともに、つぎのように述べてておられます。




《裏三角法と云うのは、例えば右足を前に出した半身の構えの場合、右足の右側に三角形が出来る位置に左足をおくことを云います。
  開祖は単に一重身とも云っておられました。》

 合気道の動きが剣の動きに由来する例として、四方投げと剣の前後斬りの動作の類似があげられることが多いと思います。しかし、「では、その他の基本技は剣のどの動き」と問われると、私は答えを持っていませんでした。
   ただ記憶をたどると、山形の故白田林二郎師範に、合気道の投げ技と剣技の一致を表現する演武があったように思いますので、現在も他に「剣の理と体術の理の一致」を説明できる方がおられると思います。

   当会としては、本質的な答えは、開祖の言葉にあると考えております。動作の外形的な類似性よりも、「合気道の根本的な理合は裏三角法、つまり<一重身>にある」ということ。身体の運用そのものが「裏三角法、つまり<一重身>」であるといことが、なによりも「剣の理と体術の理の一致」なのだと思います。  そうであれば、答えは最初から明示されていたのですが、裏三角法つまり<一重身>があらゆる合気道技法に驚くほど有効であることが分からなかったため、目の前にある言葉の意味を理解することができませんでした。

   <一重身>と体術の関係を具体的な説得力をもって示したのが、言うまでもなく「井桁術理」です。当時、甲野師範は「順体一重身」という概念で説明しておられました。

 <一重身>を裏三角法という足の踏み方から見てみますと、「撞木足(カギ足)」、「ソの字立ち」など、現代武道とは異なるいくつかの立ち方があり、これらがどのように違うのか、または同じなのかはまだ分かりません。

 当会が全ての技法の基礎に<一重身>をおいたのは、井桁崩しの稽古、とくに、井桁術理からなる言わば順体の前後斬りが有効であることに気づいたことによっております。
 斉藤師範の著作は早くから目にしておりましたが、裏三角法がすなわち<一重身>であるという関連は、まったく意識から抜け落ちておりました。
 迂闊というほかなく、そして迂回路を通ってきたことになりますが、井桁崩しに出会い、その稽古研究を重ねるなかでしか、身体を<一重身>に運用するすべを体得できなかったのですから、当会としては通らなければならなかった迂回路というほかありません。
 ただ、このことからおのずと理解されてくることがあります。これまで述べてきたことの反復になってしまいますが、井桁術理とは、「身を一重になすべき事」とのみ伝えられてきた<一重身>の内部構造を明らかにしたという意味を担っているのではないでしょうか。
 そのような歴史性をもった井桁術理だからこそ、研究稽古してゆくと、「正中線」や「気配を消す」、「遅くて速い動き」などの、死語となっていた武術概念がつぎつぎに鮮やかに甦ってくるのだと思います。
平成21年5月16日


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