研究ノートa3:<足>の役割

 なんの武術でもいいのですが、様々な技法を修得し、積み重ね、術理を究明してどこまでもゆく、その果てには、「なにも考えずただ立っているのが一番強い」という地平がある、という武術界の伝説があります。
 柳生新陰流は様々な「構え」の最高位に「無形の位(無構え)」をおいていると聞きますし、茶道や華道、書道などにも、細かな技巧や約束事の積み重ねは、最終的には自然であることにいたるためである、としるしてあるものもあります。
 日本人は、細かな作業を積上げることに秀でているのに、最終的には否定してしまう。よく考えると不思議ですが、かつての名人達人と呼ばれた人たちが到達した境地を表した言葉として、感覚的には納得できます。

 感覚的には誰もが肯定しますが、では「なにも考えずただ立っているのが一番強い」とは、具体的にどういうことを指しているのか。抽象度の高い言葉なので、様々な局面から考えることができますが・・・。

 このことについて興味深い言葉を甲野先生から聞いたことがあります。「ただ立っている状態を最強にしえているのは、位置エネルギーを使えたからです。ふいに身体の支えをとり、だるま落としのように身体をつかうことができたから」
 正確ではありませんが、そういう意味のことだったと記憶しています。


 むろん、「ただ立っている」という表現が自然や無作為を尊び、作為を嫌う老荘的境地そのものであることは、だれもが承知していることですが、あえて物理的な側面からアプローチすれば、そういうことか、と驚きました。

 「足腰を鍛える」という言葉があるように、足は身体を支えるという役割を常時になっておりますので、支えるなら、しっかり支えなければならない、まして武術ならさらに鍛え上げて、と考えられてきました。足腰は「土台」という考え方になります。
 その側面をだれも否定することはできませんが、この「土台」に、「土台」という言葉が持つイメージを裏切る、「位置エネルギーを使う」、つまり、ふいに消える、という機能をもたせれば、技は飛躍的に進歩するということになります。

 そう考えると、思い出されるエピソードがふたつ、あります。
 ひとつは、劇画や映画でもとりあげられる、柔術の名人が猫から受身を学ぶ、という話です。 関口柔心は、猫が屋根から落ちるものの1回転して着地し何事も無く歩いていくのを見て開眼し、自ら屋根から落ちてみるなどの修行の末高度な受身を極め、それらの工夫をまとめ、柔術の流派である関口流を開いたというエピソードです。
 なぜ、投げ技そのものではなく、高度な受身を極めることが柔術流派を開くことに繋がっていったのでしょうか。それは、その工夫した受身が、猫のエピソードから想像されるように、また黒田鉄山先生の柔術の受身のように、蹴らずに体を浮かすことから始まっているからではないでしょうか。
 関口柔心のエピソードの真偽はともかく、受身は安全のためというより、もっと積極的な意味があり、<浮く>ことができることが投げ技の重要な要因であることをしめしているのではないでしょうか。
 もうひとつは、合気道開祖のことです。開祖は北海道未開地の開拓に従事されたこともあったのですから足腰の鍛え方は常人以上であったのは言うまでもないことですが、それにもかかわらず、初期の高弟であった白田林二郎先生から「開祖は赤ん坊のようなヨチヨチ歩きでした」とうかがったことがあります。
 抑え技はもとより投げ技も足の<抜き>を巧妙に組み合わせることができたとき、非常に効果的であることは当会の稽古でも確認されています。足を巧妙に抜くとは、<浮き>や沈身に他なりません。ただ身体操作で述べましたように、足の<抜き>には他の身体操作とは別の困難さがつきまといます。体重を利用しようとする試みはずっとなされてきましたが、<浮き>や沈身にならず、ぶら下がりやしゃがむことにすぎない運動に終わっていました。
 自分の体を位置エネルギーとして使うとき、支えがふいに消える「だるま落とし」のイメージが役にたちます。

 当会はまだ相手を遠く投げ飛ばす実力をもっておりませんので、自然に力まず倒れる受身で稽古しており、足の<抜き>や<浮き>、沈身は別個の技として技法に組み合わせておりましたが、受身に安全に倒れること以上の理合を含めてじょじょに稽古してゆけば、大きな効果が得られると思います。
 足は、体を運んだり、捌いたりする以上の役割をもっており、一例を、投げ技にとれば、腕ではなく足で投げる、と表現できるほどだと考えられます。

 ここにのべたことは、甲野先生の教えと実技、黒田先生の著作、DVDなど、すでに現されたことをもとに、当会での稽古の感想をまじえて述べたにすぎず、なんらの創意もくわえることはできませんでしたが、なによりも我々自身に必要であり、武術を研鑽する人たちとっても重要な手掛かりになると考え、記録いたしました。

 
平成20年11月30日


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