研究ノートa1:なぜ手を掴むのか

 合気道を現代武道あるいは現代格闘術としてみた場合、片手取りや両手取り技法は、全く意味をなさない稽古形態のように見えます。
 相手と敵対した場合、片手や両手を押えてくる「攻撃」などは想定しにくいからです。殴りかかるなど、もっと直裁的な攻撃をとるのが現実でしょう。
 このことに対する反論としてよく聞くのが、「合気道のもととなった大東流は武士の時代の武術。刀を抜く手を押えるという行為は必然であったので、片手や両手取りという稽古があるのだ」というものです。
 そうかも知れません。「起源論」としてはそうかも知れませんが、しかしそれだけなら、帯刀している人などいない現代で、なぜ今も、片手取りの技を稽古するのか、という問いには充分に答えられません。あくまで「起源論」なのです。
 潜龍会のもっている答えは簡単です。片手取り、または座技呼吸法が〈合気〉の修得に最も適しているからです。腕や肩の運動構造の変化を起こすことが〈合気〉修得の近道であり、王道だから、そのための稽古としては片手取りや座技呼吸法を稽古する必要があるのです。
 ここをきちんと押えておかないと、いわば殴りあうような直接攻撃を加えあう現代において、座技呼吸法や片手取り技を稽古する意味を見失ってしまいます。
 現実の格闘スタイルを映すのではなく、全くそれを想起させない稽古形態に、最も本質的な術理を秘めさせているところに〈合気〉の不思議さ、面白さ、日本人の知恵があります。
 この〈合気〉を修得したとき、かつての武術がなしえていた〈術〉が可能となります。
 〈合気〉という高度な崩しを掛けられますと、バランスを失った相手はおもわず力を抜いてしまったり、動きを自ら止めたり、相手を見失うなどの現象を呈します。
 これらの現象は、柔術としての投げや、剣術などの武器技、または武器取りなどの技となります。つまり、〈合気〉というひとつの術理が多様な技に変化してゆくのです。
 この〈合気〉の獲得が潜龍会の目標です。


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